正午過ぎに週刊プロレスモバイルからのメール「山本小鉄さん急逝」の文字に絶句・・・。
レフェリー・審判部長、ワールドプロレスリングの解説者、そして数々のレスラーを育て、鍛え上げた“鬼軍曹”が亡くなった。
〈【訃報】新日本プロレスリング、山本小鉄さんが逝く/新日本プロレスオフィシャルWEBサイト〉
しばらく呆然とした後、小鉄さんのことを思い浮かべる。
今はレフェリーの数える場外カウントに合わせてリングアナウンサーが「ワン、ツー、スリー・・・」とマイクで観客に伝えますが、私がプロレスを見始めた初代タイガーマスクの時代はレスラーが場外に落ちるとレフェリーがマイクを持ち、カウントしていました。
小鉄さんがレフェリーの時はマイクを使っているのにも関わらず、とにかく大声でカウントを絶叫!
リングアウト負けをよりスリリングに演出していました。
浮かんで来る小鉄さんの思い出はほとんどがテレビ画面の中の出来事なのですが、唯一、直接お会いした思い出が。
昨年6月にプロレス復帰が決まった船木誠勝の若手時代の思い出を「船木誠勝 忘れ得ぬドロップキックの衝撃」として書いたのですが、この時に山本小鉄さんも私の地元のディスカウントストアに来られました。
4日間連続で行われた新日本プロレスのイベントで唯一スター選手不在、中堅・若手主体だった日に「中に入っていいよ」と小鉄さんの一言で普段はセコンドやカメラマンしか入ることが許されない場外フェンスの中、リングサイドのエプロンに入れてもらい、憧れのリングの感触を初めて確かめたのです。
そのイベントの前後(記憶が定かではありません)にリングが組まれた駐車場とは別の駐車場に設置された露店でお買い物中の小鉄さんを発見!
子供心に“鬼軍曹”として新日ヤングライオン達に恐れられていたことは知っていましたので、「すみません。サインをお願いします。」と恐る恐る持参した色紙を取り出したのを覚えています。
画像はその時にサインして頂いた、もうかれこれ25年くらい前の物です。
約1ヶ月前、7月19日の“虎ハンター”小林邦昭さんのブログには・・・
68才になられたとは言え、まだまだお元気そうだったのに・・・。
心からご冥福をお祈りします。
レフェリー・審判部長、ワールドプロレスリングの解説者、そして数々のレスラーを育て、鍛え上げた“鬼軍曹”が亡くなった。
〈【訃報】新日本プロレスリング、山本小鉄さんが逝く/新日本プロレスオフィシャルWEBサイト〉
しばらく呆然とした後、小鉄さんのことを思い浮かべる。
今はレフェリーの数える場外カウントに合わせてリングアナウンサーが「ワン、ツー、スリー・・・」とマイクで観客に伝えますが、私がプロレスを見始めた初代タイガーマスクの時代はレスラーが場外に落ちるとレフェリーがマイクを持ち、カウントしていました。
小鉄さんがレフェリーの時はマイクを使っているのにも関わらず、とにかく大声でカウントを絶叫!
リングアウト負けをよりスリリングに演出していました。
浮かんで来る小鉄さんの思い出はほとんどがテレビ画面の中の出来事なのですが、唯一、直接お会いした思い出が。
昨年6月にプロレス復帰が決まった船木誠勝の若手時代の思い出を「船木誠勝 忘れ得ぬドロップキックの衝撃」として書いたのですが、この時に山本小鉄さんも私の地元のディスカウントストアに来られました。
4日間連続で行われた新日本プロレスのイベントで唯一スター選手不在、中堅・若手主体だった日に「中に入っていいよ」と小鉄さんの一言で普段はセコンドやカメラマンしか入ることが許されない場外フェンスの中、リングサイドのエプロンに入れてもらい、憧れのリングの感触を初めて確かめたのです。
そのイベントの前後(記憶が定かではありません)にリングが組まれた駐車場とは別の駐車場に設置された露店でお買い物中の小鉄さんを発見!
子供心に“鬼軍曹”として新日ヤングライオン達に恐れられていたことは知っていましたので、「すみません。サインをお願いします。」と恐る恐る持参した色紙を取り出したのを覚えています。
画像はその時にサインして頂いた、もうかれこれ25年くらい前の物です。
約1ヶ月前、7月19日の“虎ハンター”小林邦昭さんのブログには・・・
10時に小鉄さんが練習に来たのでフォトを撮らせて頂きました
来年70歳ですがまだ100k以上挙げていますよ
〈暑いですね/小林邦昭ブログ〉
68才になられたとは言え、まだまだお元気そうだったのに・・・。
心からご冥福をお祈りします。