バリエンテ
生年不明
メキシコシティー出身
1997年5月デビュー
170cm/90kg
プロフィールについて、Luchawikiには
「グアダラハラ出身 1996年5月30日デビュー」となっていますが、昨年5月8日の「SUPER J TAG TOURNAMENT 1st」参戦時に新日本プロレスから発表されたものを載せました。
また、Luchawikiでも新日本プロレスオフィシャルWEBサイトでも生年月日は不明になっていますが、こちらも昨年の来日前の『CMLL期待の「ブエロ・エストレージャ」2人を紹介!「バリエンテ」/FOTO LIBRE カメラマン・大川昇のメキシコ中心のフォトギャラリー 』に「今年で35歳になる」と書かれていますので、現在35才で今年の誕生日を迎えると36才になる1975年生まれだと思われます。
現在は肉体改造に成功し、見事にビルドアップした肉体を誇示していますが、数年前まではご覧のような体型でした。
それにも関わらず、バンバン飛ぶもんですから、トップロープの踏切に失敗して場外に墜落しての負傷欠場が多かったように思います。
肉体改造してからの欠場は記憶にありません。
右の画像はバリエンテの甥っ子のバリエンテJr.とイホ・デ・バリエンテ。
肉体改造前のバリエンテはぽっちゃり体型とその体型からは想像出来ない空中戦を見せることから「スペル・アストロのよう」とよく言われていましたが、甥っ子2人の体型を見ると何やらブラソ一族に通じるモノを感じてしまいます。
'09年8月16日にアレナ・メヒコでサングレ・アステカからナショナルウェルター級王座を奪取。
第68代王者として現在まで4度の防衛に成功しています。
動画はこの時のバリエンテにとって初のタイトル奪取に成功した試合のダイジェスト。
もう1つ空中弾の詰め合わせ動画。
決して華麗な空中弾ではありませんが、この人の最大の魅力は思い切りの良さ!
まさにバリエンテ(「勇敢な」の意)の名の通り!!
さて、このバリエンテ、私にとっては思い出深いルチャドールの1人。
「SUPER J TAG TOURNAMENT 1st」で初来日した時の荷物遅配トラブルは忘れることが出来ません。
マスクとコスチュームを詰めたトランクが試合に間に合わないという不安の中、パートナーのマスカラ・ドラダからショートタイツを借り、カメラマンにしてプロレスマスクの専門店DEPO MARTを経営されている大川さんのサポートにより、マスクは以前に自身が使っていたお店の商品を、レガースはウルティモ・ドラゴンが使っていた物を借り、急場しのぎながら、何とかリングに上がる体裁が整いました。
そしてトラブルに見舞われながらも、ひとたびリングに上がれば、そんなことを微塵も感じさせない期待通りの空中戦でJCBホールの観客を魅了してくれました。
〈初来日の二人に何が・・・/プロレスカメラマン 大川 昇のブログ〉
〈バリエンテのコスチューム&マスクが届かず、全て借り物だった! / NC/プロレス専門BLOG:ブラックアイ2〉
〈バリエンテ、なんと荷物が空港に届かなかった/多重ロマンチック〉
〈それでも彼らは飛ぶ 〜僕らの“ルチャ幻想”を乗せて〜/Mask Maniaへの道!!〉
マスクはあの時のピンチを救ってくれた試合で使用した物とほぼ同仕様。
紫のリクラプンティーニに模様は銀ホログラムと金と黒と紫。
バリエンテ本人がかなり使い込んだ物らしく、紫リクプンの本体生地がくすんでいたり、銀ホログラムだった部分はほとんど剥げ、金の部分もだいぶ色褪せています。
もともと私は使い込まれた傷みの激しいマスクよりも新品か新品に近い綺麗な物が好きです。
しかし、このマスクを入手してからは本人が使い込んでくたびれたマスクも激戦を物語り、なかなか味があって良いなぁと思うようになりました。
そしてバリエンテのマスクの特徴である長いベロの内側にはあの思い出の日付が書き記されています。
よく見ると2010年であるはずが2100と90年後になっていますけど(^_^;)
順風の時よりも、むしろ逆境の時にこそ、その人の真価が問われるのだと思います。
支え、助けてくれるまわりの人達に感謝し、最善を尽くす。
日本がピンチの今だからこそ、そういう人間でありたいと思います。
あの日、バリエンテが見せてくれたファイトのように。
そして!
バリエンテの再来日を熱望します!!