ジョー樋口レフェリーと言えば、超大型外国人選手揃いの昭和・全日本プロレスで暴れ狂う選手の巻き添えを食らって場外で失神。
そんなことを知らずに数少ないチャンスに大技を決め、カバーに入るとカウントを入れるべきレフェリーが不在だと気付く日本人選手にがっかりする観客とテレビの前のファンといった光景が思い浮かびます。
当時の新日本プロレスのレフェリーはミスター高橋、故・山本小鉄さん、そして故・柴田勝久さん。
こちらの3人はいずれもレスラーと遜色の無い体格の持ち主で、全日のエースレフェリーであったジョーさんに対し失礼ながら子供心に「もっと鍛えれば良いのに・・・」なんて思っていました。
しかし、そんな印象を一変させる出来事が。
地元の体育館での全日初観戦(最近わかりましたが“アカプルコの青い翼”リスマルクの初来日のシリーズでした)の際、選手控室前に立つスキンヘッドで鍛え上げられた肉体の人物を遠くから見て「あんな選手いたかなぁ?」と思いつつ近付いて行くとその人物があの「もっと鍛えれば良いのに・・・」と思っていたジョー樋口リフェリーだったのです。
「テレビだとヒョロヒョロに見えるのに実物はこんな肉体の持ち主ってことはレスラーってどんだけの体なんだよ!」と驚きました。
もしかしてジョー樋口さんが写った物はないかなぁと昨年、四半世紀の時を超え押し入れから出てきた写真を探してみたら数枚ありました。
心からご冥福をお祈り致します。